子宮腺筋症になって
〜自己体験談です。長文なのでお時間のある時にどうぞ〜

2001年春ごろから、体に違和感を感じていました。
「なんかヘン」という感覚です。

違和感というのは、側腹部(ツボでいうと大横〜腹哀)から
背部(脾兪〜三焦兪)にかけての痛みでした。
それもしょっちゅうあるわけではありません。
最初の1年目で3回、2年目で5回程度のことでした。
5年に数回のことですし、鍼灸師になりたての頃ですが、
自分で鍼灸治療をすれば、
痛みを緩和することはそう難しいことではありませんでした。

以前に人間ドックで「腎に石が少しある」と言われたこともあり、
最初は結石かな?と思っていました(だって痛む部位が似ていましたし)。
実母が子宮筋腫だったため婦人科疾患を疑いながらも、
痛む箇所や、痛みの出現が月経との関連づけられず、
原因がわからずにおりました。

(今考えると私の場合、排卵時の痛みで、左の卵巣から排卵がある時に
痛んだようです。癒着があり痛かったようです)


それでも心配だったので、2001年7月、2002年7月には、
都心のど真ん中でピカピカビルの中にある某クリニックで人間ドックを受け、
「何かおかしいと思うのでよくみて下さい」と
検査のたびによ〜〜くドクターにお願いしましたが、
原因がわかりませんでした。
2002年に受けた婦人科の貫禄たっぷりなドクターには、
「大丈夫!異常なし!」と自信満々に太鼓判まで押されました。

笑顔で自信満々に加え、このドクターはこの病院で会った
どのドクターよりも親切でいい人に見えました。

私はコロッと「そっかー、異常ないんだ」と思いました。
だから何も変えませんでした。
そして多くの病がそうであるのと同様、
私の病態は少しずつ進んでいました。
本当にゆっくりゆっくり・・・
痛い6時間が少しずつ伸びたり、
貧血を感じる頻度が増えたり、
おりものの匂いが気になったり、
鍼灸治療の刺激量を増やさないと痛みが鋭くなってきました。
でも、仕事や日常生活に支障がある程度ではありませんでした。

身体はちゃんと異常を知らせてくれるものです。
信号が青から黄色に変わってもわからない私に、
身体は赤信号を表示しました。

2003年2月に立っていられないほど痛みがあり、
朝〜夜まで1日寝込んだことがありました。
それでも、この痛みも自分のツボ刺激でのりきれました。
そして4月に再度、同じことがありました。

そして2003年8月の人間ドックに行き、
「絶対おかしいからよく見てください」と3年目になっても同じことを繰り返すと、
やっと内診したドクターが「子宮筋腫みたいだから婦人科へ行って下さい」
言いました。大きいのが3個ぐらいあるみたい、と。
ただ、ここでははっきり筋腫かどうかわからないから、
婦人科へ行って下さい、と。

翌週すぐIクリニックへ行き、長い待ち時間の後、
「これは核がないから、筋腫ではないです。
子宮腺筋症という病気です」とやっと立派な診断名がつきました。

その痛みはおそらく子宮腺筋症の癒着によるものだろう、
と言われました。

・・・・が〜〜〜ん・・・

覚悟していたもののショックでした。

一言で言うと「私ってなんてバカ」
病気の診断名が欲しくて私は放っておいたの?

人を健康にしたいと願って鍼灸院を開いているのに・・・
身体の声を聞きましょうと言っているのに・・・
自分が病気になるなんて・・・
これじゃダメじゃん、私。
鍼灸師の資格ないじゃない。

Iクリニックでは「こりゃ〜相当痛いでしょう」
「これじゃあ、かなり痛いはずだ」
(確かにそうでした)
痛みがひどければ、お薬も処方できますよ、と
親切にドクターと看護婦さんと勧められましたが
「鍼灸師なので痛みの処置は自分でできます」と
丁寧にお断わりし、逃げ帰ってきました。

婦人科疾患というのもともかく、
恥ずかしいことに、子宮腺筋症という病名を知りませんでした。
(国家試験の範囲にはありませんでした)

あわてて帰ってネットや本などで調べました。
案の上というか、まぁ、ほとんどの病気と同様、
子宮腺筋症についても原因や治療については、
ほとんどわかっていないということが確認できました。

しかし、3日後に決意していました。

絶対に自分で治そう。

自分の病気を治せなかったら、
患者さんの病気が治せるはずがない。

【未病を治す】が私の目標なのに、
自分が未病であるうちに治さず、
病名を診断できるほどに、病を成長させてしまった。
これはもう自ら治して、
患者さんの役に立つ経験をしなければ!!

それにしても何かおかしいと感じ始めて2年。
やっぱり体は急に病気にはならない
ちゃんと危険信号を発しているんだ、と
自分の体であらためて実感しました。
“体の声を聞こう”という言葉をあらためてかみしめました。

どこかが痛い、辛いのは体訴えであり、
その段階でよい状態に持っていくことが未病を治すことだと。
多くの尊敬する患者さんと同じように、
症状がなくても(軽くても)、
もっと体に気をつけようと思いました。


さて、具体的にやったことはいろいろありました。

鍼灸治療だけで治ったわけでもありません。

やっぱり食事は基本です。
私を知る方はよくご存知ですが、もともと
私は作ったものしか口に入れない生活をしています。
(いえ、肉・魚・野菜などの材料は買っています)

例えば、お惣菜は買ったこともなく、
カップ麺やファーストフード類もほとんど口にしません。
毎朝食べているパンはパン焼き器で12年以上作って食べています。
(すみません、自慢してます。そして本当はパンよりお米の方がいいです)

そんなにできることは多くないように思いましたが、
心がけたのは、身体に悪いものを残さない、
なるべく排出しやすい食生活。
白米をなるべく玄米に
(子ども達の抵抗もあるので完璧ではありません)、
お肉なら鶏>豚>牛で
牛肉を買うのをやめました。
そしてお肉より魚に、
料理の時には油を控えて、
身体の外に悪いものを出す食物繊維を多く。

そうは言っても、おいしいチョコレートが好き。
ケーキも和風菓子も好き。
お酒もたくさんは飲みませんが嫌いではありません。
・・・これらは我慢できる範囲で控えました。

鍼灸治療を月1回友人の治療院へ行くようにしました。
(背中はできない、とお互いに行き来しています)
自分でお灸もしました。

毎朝夕に水を足にかけることを始めました。
これは冷え取りにもなると、
私もお勧め某有名サイトに載っていた方法です。
ある患者さんに「こういう方法もある」と勧めたら
それならやってみようかな〜とおっしゃるので、
「頑張って一緒にやりましょう」ということになり、
9月〜1月まで毎朝夜に洗面器一杯の水を足にかけていました。

毎晩、糠のホットパックを作りお腹と背中を暖めました。

痛んだ時はお灸で和らげました。

運動不足は感じていたので、
不定期気味だった運動を週に1度にし定期的に行うようにしました。

貧血予防にはプルーンを毎日食べていました。

6月からノニジュースという健康食品を飲み始めました。

これが心がけたこと全部です。

激痛は気をつけてから一度もありませんでした。

だんだん月経痛もひどくなくなりました。

おりものの量が減ってきました。

体の調子は良くなったように感じていました。

診断されてから、1年後の2004年9月。

前よりは良くなっているに違いないという確信を持ちながら、
どの程度の状態になったか確認するため、
再びIクリニックへ行きました。

内診をしているUドクターは“あれ?”というように、
バッとカーテンを開けて私の顔を確認しながら
『いくつ?』  「3○です」
『う〜ん?』と納得できないご様子。
(年と同じぐらいに見えるなぁ〜おっかしいなぁ〜という表情)

これで、私にはピンと来ました。
先生は2003年8月に私の子宮の状態をご存知で、
カルテの内容とご自分の経験から子宮の状態を推測されたと思います。
そして、その状態が全く予想外だったのだろうと、
先生の反応をみて思いました。

この変化から考ええられる可能性は、
女性ホルモン(エストロゲン)の低下、
だから年齢を確認したんだ!と推測できました。

だから「先生、一生懸命、治したのです」と言いました。
「私、鍼灸師だから私が治れば先生が
鍼灸治療ってすごいと思って下さると思って治療したのです」
と言いました。U先生は少しむっとして
「何言っているんですか、私はそういうことにはすごく理解がありますよ」と
おっしゃっいました。(それは本当です)

そして、エコーの画面を見ながら、
『へぇ〜そう!そりゃあ素晴らしい!』と誉めてくださいました。
『鍼灸でねぇ〜、ふぅん・・・ベリーベリーグッドだよ!』と。
私が「それは病態として認められないということですか?」と伺うと
『そうです』とU先生はちょっと認めたくないようにおっしゃいました。

このIクリニックのU先生は、
鍼灸師をスタッフに入れているほど、
東洋医学に理解がある先生ですが、
かなり驚かれていたように感じました。

U先生はこうもおっしゃいました。
私はね、万能なものはないと思っているんだよ。
西洋医学も、東洋医学もね』とおっしゃっていました。

とても心に残る言葉をいただいて帰ってきました。


りんご鍼灸院にいらして下さる皆様がいらしてこそ
私は、自分で治す、と強い思いを持つことができました。
これからもみなさまのお役に立てるよう
努力してまいりますので、
どうぞよろしくお願いします。

2004年9月記



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